Memorial

「汐澤先生が残してくれたもの」

 

~青山シンフォニー誕生~

1986年秋、仲の良かったOB6人が渋谷に集まり、学生時代を懐かしんでベートーヴェンの「運命」を練習しました。
練習後、6人は「本格的なオーケストラで演奏したい」「夢をもう一度」という気持ちを募らせ、結成に向けてメンバー集めと指揮者探しが始まったのです。

初代団長となる尾中善一郎さん(Cl)と後藤智恵子さん(Vn)が汐澤先生を訪ね、指揮を依頼しました。
この時、先生からメンバーは何人集まっているのかと聞かれ、6人と答えると先生は絶句。
それでもメンバーを集めることを条件に、指揮を引き受けてくださったのです。
そして1988年3月、ついに第1回目の演奏会(青学講堂)にこぎつけたのです。メインは「運命」、アンコールは「ラルゴ」でした。

 

~当時のオーケストラの状況~

創立記念演奏会は成功でした。OBのお祭りイベント的な意味もあったので50人以上が参加してくれました。
しかし第2回以降は人が集まりにくい上に、さまざまな事情でメンバーが抜けていき、社会人オケを維持する難しさに直面することとなったのです。

1stヴァイオリンがたった2人、管楽器を含めた全員でもわずか15人という練習もあったくらいです。
練習場所は目黒、自由が丘、下丸子など。重いティンパニを運びながらさまよう流浪のオケでもありました。
それでもメンバーは全員が協力し合い、とても仲が良く、音楽を一緒にする喜びにあふれていたのです。

 

~汐澤先生のご指導~

こんな状況のオーケストラでしたが、先生はじっと見守って下さり大変熱心にご指導を続けてくださいました。
メンバーが少ない時は、さながら個人レッスンのような練習にもなったのです。

ただし、練習は厳しいものでした。
最初の頃には「一人ずつのチューニング」が行われ、弦は開放弦を1本1本、一人ずつ合わせていくのです。
さらに「体のビートが大事、足を踏む」「小節線は簡単に越えない」など。

そして有名なお言葉、「譜面を見て、棒を見て、聴きながら、アンテナを3本立てる」は何度言われたことでしょう。
とにかくオーケストラの基本動作を叩き込まれたのです。
今の若い人には「アンテナ3本」と言っても、分からないかもしれませんね(笑)。
先生は我々に「音楽にプロもアマもない」「できるように近づこうとする努力が大事」とのメッセージを常に伝え続けていらしたのです。

 

~汐澤先生が我々にもたらしてくれたもの~

先生が指揮された演奏会は、50回近くにもなります。
その演奏会は団員だけでなく、また来てくださったお客様にも満足を与えてくれたのです。
演奏会終了後のエレベーターでお客様が「楽しかったね。また来年も来ようね」と話していると多くの人が教えてくれました。

先生は、演奏することで皆の心をまとめ上げ、音楽の美しさと楽しさとの出会いを演出してくれたのではと思います。
もちろん、練習後の飲み会やカラオケなどで私たちと触れ合う時の優しさも忘れることはできません。

創立以来30年以上の長きに渡り先生は青山シンフォニーを家族のように接してくれました。
先生が最も大切にされていたのは、音楽を愛する「人」を育てようということであったのではないかと思います。
今の青山の礎を作ったのは、まぎれもなく汐澤先生なのです。

 

~汐澤先生よ永遠に~

先生がお亡くなりになる1か月前にお電話をいただきました。
内容はご家族で行う演奏会の件でしたが、最後に「青山の人たちは私にとって特別なのです」
と電話の向こうで仰ったのが忘れられません。
そして、その演奏会の当日に先生は旅立たれたのです。

「仰げば尊し わが師の恩、~忘るる間ぞなき 行く年月」という歌があります。
年月は過ぎ去るけれども、師の恩を決して忘れることはない、という想いが込められた歌詞なのです。
先生のご功績と深いご恩を心に留め、青山シンフォニーはこれからも活動を続けていくことでしょう。

 

文)海野 正樹(2代目団長)
監修)尾中 善一郎(初代団長)